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焼原杣
【やけはらのそま】


旧国名:伊賀

(古代)平安期に見える杣名。大和国山辺郡ならびに伊賀国名張郡夏身郷のうち。康保3年4月2日の名張郡夏身郷・薦生村刀禰等勘状案に「所謂板蠅杣者,是在笠間河西方,焼原杣者在笠間河東方……又焼原杣者,是薦生御牧南四至,越高峯去数里所有山也」とあり,笠間川とその東方の名張川の間に横たわる山塊,すなわち現在の奈良県と三重県の県境に位置する茶臼山一帯(西山・青葉山)をさしたことが知られる(東大寺文書/平遺289)。この山地はもともと笠間川を東堺とする東大寺領板蠅杣には属さなかったが,天暦年間東大寺別当光智の入杣を契機とする板蠅杣拡大の企て(東はその四至を笠間川から東方の名張川に改める)により薦生牧とともに杣内に繰り入れられることになる。康保年間にいたり,勘解由長官藤原朝成家領薦生牧の立券に際し,薦生牧を板蠅杣内とする東大寺の主張は反論をうけ,東大寺は薦生牧から撤退せざるをえなかった。しかし,その南に位置する焼原杣については,「然則至杣便宜之地者,令領於杣(至脱カ)有彼殿御牧便宜之地者,令領掌彼御牧」という東大寺の要求が認められ,東大寺領となったようである(東大寺文書/平遺281・282・286)。その後,焼原杣の名は関連文書から消えるが,板蠅杣工や山麓住人によって,名張川に沿った東側山麓地域の開発が進められ,11世紀中葉にはかつての焼原杣の地は黒田杣(黒田荘)と称されるようになる(東南院文書/平遺787)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7129703