六呂見
【ろくろみ】

旧国名:伊勢
四足八鳥とも書く(三国地誌)。内部川下流左岸に位置する。古くは伊勢湾に面し,内部・鈴鹿両河川の運搬した土砂により海中にはり出した砂州上に立地する村落であった。地内には補陀洛山観音寺(浄土宗)があり,別号を四足八鳥山といい,浜宮内院とも呼ぶ。本尊は四足八鳥の背に安置されているが,これは神武天皇が天照大神神託によって八咫烏を使として導かれ陸地を見つけたという神話に由来し,村名もこれにちなむという。四足八鳥を「ろくろみ」と読むのは陸路が見えることで,海辺の道から陸路に向かう村を意味したと伝えられる。観音寺はもと天台宗寺門派で,貞観6年智澄大師によって日永登城山中腹に建立され平安期に隆昌を保ち,登城山の日永城にいた長田(日永)楯三郎が,元久元年三日平氏の乱を起こし鎌倉幕府に敗れたころ同寺を現在の地に移したと伝える。宝治2年関東下向途中の記主禅師の教化で日永両聖寺とともに浄土宗に改宗し,室町期も勅願寺として後奈良天皇の綸旨,後陽成天皇の女房奉書を伝え,寺領は天文期で日永郷内70貫文・天正期7町余。文禄3年の太閤検地で公田とされたが,慶長10年塩浜出身の四日市代官水谷光勝の助力で徳川家康より寺領20石の朱印状を下付された名刹である(神戸平原地方郷土史・勢陽雑記・勢陽五鈴遺響)。
【六呂見村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【六呂見(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7129987 |