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桂西荘
【かつらにしのしょう】


旧国名:山城

(中世)鎌倉期~戦国期に見える荘園名。山城国葛野(かどの)郡のうち。現在地の比定は困難であるが,桂東荘・桂中荘(千代原荘)に対してその西の下山田付近と考えられる。すなわち文明16年6月14日葉室教忠御教書によると,教忠は東寺雑掌に対して「桂西庄之内車塚弐段大」を当知行の旨にまかせて安堵している(東寺百合文書)。もしこの車塚を現在の西京(にしぎよう)区山田車塚町と考えることができるとすれば,上述の推定が可能である。嘉元4年6月12日昭慶門院御領目録には,安楽寿院領として「桂西庄」が見え,「被下院宣高二位入道,知行不可有相違之由,被仰了」という注記がある(京都大学所蔵古文書集)。下って文明16年6月14日には葉室教忠は車塚2反大を東寺に安堵しているが,この地はまた「女御田之内桂西庄車塚弐段大」とも見え,東寺の散在所領の1つであった(東寺百合文書)。長享2年12月24日には葉室教忠が「山城国葛野郡桂西庄之内御所内田地」4反を専修寺に沽却しているが,永正17年7月5日室町幕府奉行人連署奉書案では,「朝恩之地」という理由で勅諚によって,この地を教忠の孫頼継に返付させている(以上,専修寺文書)。さらに天文11年10月18日室町幕府奉行人連署奉書では「城州桂西庄内田地五段」などを買得当知行地として革嶋一宣に安堵しているが(革嶋家文書),翌11月には葉室家雑掌が,この沽却地は「異于他為朝恩之地,去永正十七年以来被棄破畢」として,革嶋一宣の違乱停止を求めている(別本賦引付)。以上のことを通覧すると,おそらくここにも多くの散在所領はあったと考えられるが,全体として葉室家の所領であったといえる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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