金光寺
【こんこうじ】

京都市下京(しもぎよう)区六条通河原町西入本塩竈町にある寺。時宗,もと市屋派本山。市中山と号し,市屋道場・一夜道場と呼ばれ(当寺所蔵文書),市姫金光寺ともいった(中昔京師地図)。本尊は阿弥陀三尊像。承平年中に市姫明神の神託によって空也が東市(七条堀川)に建立した市堂が,その始まりという。弘安7年,空也の遺跡市屋に滞在していた一遍上人に唐橋法印印承が帰依し,作阿弥陀仏と名乗り,天台宗から時宗となったと伝える。空也を元祖,一遍を二祖,作阿を三祖とし,本尊左右に各像を安置する。中世においては,市姫神に対する信仰(東・西両市にて五十日餅を購う習俗。山槐記,治承3年1月6日条および三長記,建久6年10月7日・同11月26日条)と葬礼関与とにより,塔頭5軒・末寺8か寺などを有していたらしいが,文明4年12月17日に罹災(当寺所蔵文書)するなど漸次衰退した。天正年間,豊臣秀吉の政策により市姫神社とも現在地に移る。朱印28石4斗6升,末寺は西蓮寺1か寺(時宗市屋派本末帳)。享保20年頃,浄土宗西山派の僧が住持となり,市屋派の伝法が中断したが,安永9年もとに復した。国重文「一遍上人絵詞伝」(遊行上人縁起絵)写本4巻をはじめ,典籍や古文書が多数所蔵されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7140089 |