日置荘
【ひきしょう】

旧国名:河内
「ひきのしょう」「へきのしょう」ともいった。大和川南岸の高燥地,西除川中流西方に位置する。「新撰姓氏録」和泉国未定雑姓に「日置部 天櫛玉命男天櫛耳命之後」と見え,地名は日置氏の居住地であったことにちなむと思われる(全志4)。「日本書紀」垂仁天皇39年条に「日置部」など「并せて十箇の品部もて,五十瓊敷皇子に賜ふ」とあり,日置部の伴造である日置氏が,当地において剣など武器鍛造の際の炭焼に従事していたと推定される。
【日置荘(中世)】 平安期~戦国期に見える荘園名。
【日置荘村(近代)】 明治22年~昭和26年の自治体名。
【日置荘町(近代)】 昭和26~33年の南河内郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7153298 |




