忠宮
【ただのみや】
旧国名:但馬
矢田川上流左岸の山間部に位置する。字はこもに城山城があったという。鎌倉期に朝倉太郎太夫高清が築いたといい,その子孫八木七郎高茂が長講堂領である小代(おしろ)郷を支配する拠点とし,のち田公氏の分流田公二郎景高の居城となり,同子孫が代々城主となったという(美方町史)。天正4年2月吉日付交名注文によれば,小代の地侍として忠宮村山本右兵衛ら3名の名があげられている(同前)。
【忠宮村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【忠宮(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7160457 |