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鷺ノ森明神丁
【さぎのもりみょうじんちょう】


旧国名:紀伊

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は和歌山城下内町のうちの町人町で,明治12年和歌山区,同22年からは和歌山市の町名となる。和歌山城の北部,鷺森別院の北東隅に位置する。文政13年に「同(鷺森)朝椋社東横より北後ロを折廻し新道出口迄」に町名が付けられ,鷺森明神丁となった(御城下内町名唱替御通し写/秦野家文書)。朝椋社の東部に13間,そこから西へ折れて40間,さらに北へ折れて18間半の町であった(此度丁名相増又者相改候略図/田中家文書)。朝椋神社は,延宝年間,所在不明となっていた式内社を同地に所在した顕国社に比定して改称したと伝える(鷺森神社記/鷺森別院所蔵)。同社は鷺森神社,鷺森明神,九頭大明神とも呼ばれ,本町から西部,宇治の内町各町の産土神として尊崇された。橋丁の町大年寄沼野六兵衛の書いた日記には,同社社参の記事や神主杉原氏との交友の記事が見える(日知録/沼野家文書)。古町として町入用の間打・棟役を負担したが,別院へ地子を納めるため軽減されていた。明治6年には戸数105,男157・女183。昭和20年避難疎開空地帯に指定され,強制疎開が実施されたが,間もなく同年7月空襲により全町焼失の被害をうけた。第2次大戦後,復興都市計画により区画整理が実施され,戦前の町並みは大きく改変された。なお空襲により焼失した朝椋神社は同35年再建された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7171701