稲草
【いなくさ】

旧国名:備後
田総川流域。中世には田総荘地頭方に属し,古くは稲総とも称したという(国郡志書出帳)。氏神は「国郡志書出帳」によれば,彦宮意賀美大明神・八幡宮・牛頭天王・大蔵大明神。彦宮意賀美神社は甲奴郡唯一の式内社(異説もある)。寺院に曹洞宗五雲山竜興寺があり,開基は田総荘地頭田総長井氏,開山は鎌倉建長寺の大覚禅師という(芸藩通志)。はじめ臨済宗だった。三原御分指出帳によれば,ほかに無住香仲院,臨川山法福寺がある。田総氏の居城川平山城跡が意賀美神社東北の川平山にある。長さ360m,城は南にむき,北は空濠で断ちきられ,直径3m以上の大井戸が残る。5段あり,北側三角形の平地に石垣が残る。志賀志羅山城が東の下領家との境近くにあり,その南山麓に大乗寺跡がある。地内大原の地は,古くは王原と記され,後鳥羽上皇が隠岐から帰る時宿泊した地という。
【稲草村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【稲草村(近代)】 明治22~44年の甲奴郡の自治体名。
【稲草(近代)】 明治45年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7187662 |