三高村
【みたかむら】

(近代)明治22年~昭和31年の佐伯郡の自治体名。西能美島の西部に位置する。三吉・高祖2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。村名は合併両村の頭文字の合成。明治24年の戸数553・人口3,351。学校は同27年簡易小学校をそれぞれ三吉尋常小学校・高祖尋常小学校と改称。同44年両校が合併して三高尋常小学校となる。当時の出席率は94%(佐伯郡教育資料)。広島湾の要衝として日清戦争の際,要塞を設ける。物産面では,用水不足から稲の早植がみられ,能美島で明治31年三化メイチュウが大発生した。当村が初発生地とされている。同33年にも惨害に見舞われた。煉瓦製造は著名で,比較的大きな工場としては,明治38年創業で,同42年工員数が男4・女7の工場や同42年創業で,同年の人数が男25・女30の赤色煉瓦製造工場,さらに大正2年創業の工場もあった。同工場の大正3年の工員数は18。「佐伯郡誌」は煉瓦製造に従事する村民の所得は少なくないと記している。大正5年の戸数600・人口3,959(男2,029・女1,930),田71町6反・畑87町2反。乳用雑種牛の繁殖につとめるとともに柑橘栽培も盛ん。当時の交通機関としては能美厳島線航路があり,大原(現大柿町)・沖・是長・三高・高田・中村・津久茂・宇品・廿日市・厳島の諸港を結んでいた。便は大正期頃1日1往復。その他能美島諸港と広島市本川口との間に1日1往復番船の往来があった。昭和25年の世帯数943・人口4,529。同31年沖美町三吉・高祖・能美となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7191010 |