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ジーコンボ古墳群
【じーこんぼこふんぐん】


萩市見島字片尻に所在する古墳時代終末期~平安時代前半期の古墳群。国史跡。萩市の沖合いに浮かぶ見島の南岸線東端にある晩台山麓から高見山麓にかけて,東西に連なる横浦海岸一帯の礫浜堤に,東西約300m・南北約50~100mにわたって形成されている。大正12年三輪善之助によって積石塚として紹介され(長門見島の遺蹟),同15年山口高校歴史教室が調査を実施,約160基を確認した(見島文化の研究)。さらに,昭和35年から3年間,県教育委員会による総合的学術調査が企画され,182基の古墳数を確認したが,湮滅したものや未確認のものを考慮すれば200基に達するものと推定された(見島総合学術調査報告)。うち18基について発掘調査を実施。墳丘はすべて玄武岩の礫石で築成され,石室には横穴式石室系統のものと箱式石棺に近い形のものがあり,前者から後者への時間的推移が認められ,各々が地域的にまとまりをもち,東から西へ移行することが明らかにされた。同時に,鉄刀・鉄鏃・鉄鎌・刀子・石銙・銅銙・金銅製釵子・ガラス小玉・管玉・丸玉・貝輪・金環・銅環・勾玉・青銅匕・銅鋺・金銅製鈴・緑釉陶器や和同開珎・貞観永宝などの銭貨など,孤島には異質ともみえる質量ともに豊かな副葬品が出土した。昭和57年同教育委員会が3基の調査を実施,鍍金の施された裏金具を伴った石銙帯などが出土した(見島ジーコンボ古墳群)。200基にのぼる多数の造墓主体の析出を小さな孤島内の社会基盤の中に求めることは困難であり,副葬品の質的内容や見島の地理的条件などからみて,対外関係の戦略拠点として軍事的機能を担って駐留した重層構造の集団の墓地と推定されている。昭和59年「見島ジーコンボ古墳群」として国史跡に指定。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7192996