宝町
【たからまち】

(近代)昭和45年~現在の下関市の町名。もとは下関市幡生(はたぶ)・幡生東本町の各一部。町名は幡生の小字宝蔵寺にちなむ。一帯はかつて宝蔵寺と通称されており,「県風土誌」に幡生村の字地として「宝蔵地(按ずるに寺跡)」と記す。昭和34年,市営住宅ができてから周辺の宅地開発が進行。西の境界をなす通称水道道は,明治39年市が上水道施設を完成させたとき,その水源を内日(うつい)町一の瀬ダムに求めたため,市街中心の高尾浄水場までほぼ南北に直線状の導水管埋設道路(内日日和山導水線路)ができ,これを部分的に一般道路として利用したもの。昭和52年一部が三河町となる。世帯数・人口は,昭和45年265・1,011(男531・女480),同50年282・989(男536・女453),同60年521・1,439。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7193470 |