100辞書・辞典一括検索

JLogos

22

福川村
【ふくがわそん】


(近代)明治22年~昭和30年の阿武(あぶ)郡の自治体名。大井川支流福井川流域および阿武川支流佐々連川流域に位置する。福井上・福井下・黒川の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。村名は福井の福と黒川の川を合字して名づけられた。役場を福井下に設置。明治24年の戸数937・人口4,221(男2,218・女2,003),厩183,寺院6,学校6,水車場2,船4(徴発物件一覧)。福井郵便局は明治7年榎屋の引越に設けられ,昭和3年福井市に移転。明治36年村農会が発足。大正8年福川信用購買販売利用組合を設立。昭和19年村農業会,同23年福川農協となる。明治17年福井西小学校を及泉小学校と改称。同20年山崎・鳴尾・平蕨・半田・黒川に簡易小学校を置き,同23年分教場と改めた。同30年及泉尋常高等小学校,同40年福川尋常高等小学校と改称。同35年半田分教場を半田尋常小学校とする。大正11年黒川分教場を廃止。同12年平蕨分教場を半田尋常小学校に付属。昭和22年福川小学校・半田小学校と改称。同年福川中学校を創立,半田分校を設置。近世の石州街道は,現在の主要地方道萩篠生線・山口福栄須佐線の基礎となる。明治35年の戸数911・人口4,643(男2,414・女2,229)。世帯数・人口は,大正9年876・4,436(男2,270・女2,166),昭和5年827・4,113(男2,119・女1,994),同15年732・3,711(男1,905・女1,806),同22年861・4,375(男2,146・女2,229)。産業は農林業が主体で,山間の地勢上平坦地が少なく,山すその急傾斜地の棚田がほとんどで,稲作中心。作付面積・実収高は,明治44年4,578反・8,504石。大正5年5,421反・1万1,544石,昭和4年6,050反・9,939石,同30年4,360反・1万1,555石。近世以来,役畜は馬より牛が多く使われて,明治26・27年頃から牛の改良種の養畜農家が増えはじめ,昭和期には無角和種牛の主要な生産地となる。養蚕業も大正中期から普及,昭和初年に村の主産業となったが,日中戦時下に衰退。林業は,明治35年入会山の無償下戻で村有林ができて,造林に着手。民有林の植林も進むが,5ha以下の零細林家が多数を占め,20ha以上の山林地主が極めて少ない。大正5年大井川第1発電所,同12年長門峡発電所の完成で,昭和2年全村域に電灯がついた。同30年福栄(ふくえ)村の一部となり,当村の3大字は福栄村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7194344