飯尾
【いのお】

旧国名:阿波
吉野川下流右岸平野部の南端,高越山系の北麓に位置する。南部は標高約500mの山地。北を飯尾川が東流し,南の山地から流下して来た藤井寺谷・天神谷・高ノ原谷の小河川が同川に合流する。地名の由来は,古代から稲作が行われていたため,蒼生の糧尽きざるとの意味で,稲生(いのお)と呼び,のちに飯尾と記すようになったという(麻植郡郷土誌)。飯尾氏の居城の飯尾城跡が字原ぶちにある。飯尾氏は鎌倉期~室町期の当地方最有力の豪族で,中でも彦六左衛門常房は足利8代将軍義政に仕え,書道飯尾流を起こし,和歌にも優れて,応仁の乱で焼野原になった京を歌った「なれや知る都は野辺の夕ひばり上るを見ても落つる涙は」の一首を残した。飯尾城跡の東北約400mの地点に飯尾東城跡がある。南北朝期に築かれた麻植氏の居城で,天正10年8月土佐長宗我部氏の攻撃により炎上落城した。
【飯之尾村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【飯尾(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7195212 |




