吉田?
【よしだ】

旧国名:阿波
古くは原田とも称した。讃岐山脈南麓に広がる宮川内谷川右岸の扇状地に位置する。地名を原田から吉田に改めた理由については,砂質土が多くたびたび干害に見舞われ,原田では稲の育ちが悪いので,吉字を選んで吉田に改めたとする伝承がある(土成町史)。古くから開けた土地で古墳も多く,字姫塚の姫塚古墳・遊塚古墳からは須恵器の坏を出土している。鉄刀の出土した御所神社古墳は前方後円墳である。承久の乱で土佐にながされた土御門上皇を,より都に近い阿波へという幕府の配慮によって守護の小笠原長経は寝殿を造って上皇を迎えたといい,土御門上皇行宮跡があり,上皇の歌碑が建ち,御所の井と称する深井戸が残る。字一の坂には吹越神社(現御所神社)別当寺の神宮寺がある。同寺には絹本着色千手観音像があり,千手観音とこれを囲む二十八部衆像からなり,三幅で構成されている。鎌倉期の作かと思われる。吹越神社は断層崖に掛かる石段を上った隆起扇状地上にあり,昭和32年字御所屋敷の御所神社を合社し,御所神社と改称した。ほかに千光院もある。字城藪には原田城があり,「古城諸将記」に,「原田〈今ノ吉田村ナリ〉原田久左衛門,源氏四十貫……同所 高志石近,小笠原氏……同所,野中玄蕃,右同姓」とあり(徴古雑抄7),元亀3年の奥書のある「故城記」にも同様の記述がある(同前3)。なお「城跡記」には「原田城 天正十年落城 吉田邑 主将原田小内膳 中富川ニテ討死ス」とあり(同前7),原田小内膳は,久左衛門義景の嫡男で,三好長治の御傍小姓を務め,長宗我部元親と戦って壮烈な戦死を遂げたという。
【吉田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【吉田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7197648 |




