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本町
【ほんまち】


旧国名:讃岐

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は高松城下の1町。高松城総曲輪のうち,内町5町の1つ。曲輪の東側に位置し重臣屋敷に隣接している。町名の由来は,曲輪内の町人町の中央部にあたる町という意味による。寛永17年の高松城下図には,いほのたな町・とぎや町・たたみや町に囲まれて町が5つに区割りされている。高松の場合は生駒氏時代は大手門を出た東方にあたり,松平氏時代になって門(太鼓門)が内部の東側に移り,旭御門前の番所前に位置した。高松城下の産土神石清尾八幡宮の祭礼に各町から奉納する行列の順序は当町から奉納する飾船が先頭であった。藩内で用いる「ろう」を専売で取り扱ったろう問屋(梶原平四郎)や御用商人呉服所諏訪五兵衛らが住んでいた。宝暦2年の城下図に御使者長屋が町内に置かれている。また文化年間の城下図に火の見櫓があり,藩主らの信仰にかかわる厨子などを寄進した不動庵も町内にある。江戸中期以降は当町のそれまでの特権的な地位も薄らいだ。明治23年からは高松市の町名となる。明治30年頃には薬局1・質商1・穀物商1・酢商1・生魚商1・材木商1・料理業1が見える(繁昌懐中便覧)。大正元年の戸数81。世帯数・人口は,昭和15年末87・365,同19年末100・382,同20年7月戦災に遭い町は全焼し,同年末の世帯数・人口はともに0,同21年末の人口60。昭和33年一部が玉藻町となり,工町・上横町・北浜町・魚屋町・内町の各一部を編入。同39年一部が鶴屋町となり,内町・北浜町・魚屋町・内磨屋町・工町の各一部を編入。昭和44年には一部が丸の内・玉藻町・鶴屋町となり,鶴屋町・北浜町の各一部を編入した。昭和55年の世帯数369・人口803(男349・女454)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199741