神田
【こうだ】

旧国名:肥前
東松浦半島上場台地の町田川流域に位置する。かつてはこの地先まで海が入り込み,松浦潟の一部を形成した。北西部の内田・西浦一帯の丘陵地には縄文・弥生時代の土器・石器の散布が見られる。中世以来の松浦地方の要所で,「鎮西要略」は鎌倉期の松浦党にふれ「松浦の族党繁衍し,分れて数十家となる。松浦・波多・石志・神田・佐志」と記している。また「松浦家世伝」によれば,松浦党の始祖松浦久の五男広が神田氏を名乗り,以来神田に居を構え,上松浦の松浦党の一員として鎌倉期から戦国末期まで活躍したことが知られる。唐津神社縁起には,地頭神田五郎宗次が夢想により海上に宝篋を得,天平勝宝7歳9月29日詔命により唐津大明神を祀ったという伝承がみられるが,これは始祖松浦久以前のことであり歴史的には松浦党との関係はないと考えられる。「太平記」によれば,足利尊氏の建武3年の多々良浜合戦で「松浦・神田ノ者共,将軍ノ御勢ノ僅ニ三百余騎ニモ足ザリケルヲ二三万騎ニ見ナシ」と見え,「九州治乱記」には,建武5年3月,筑後石垣山において菊池氏と交戦した松浦党について「飯田彦次郎定戦死,飯田次郎抑戦死,神田彦五郎調負傷,神田五郎時負傷」と記す。その他「海東諸国記」には「源徳,丙子年遣使来朝書称肥前州上松浦神田能登守源徳受図書約歳遣一舡」とあるが,いずれも当地の武士とされている。
【神田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【神田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7216902 |




