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太田村
【おおたむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。肥前国松浦郡のうち。五島列島福江島の南部に位置し,南は東シナ海に面する。はじめ五島藩領,寛文元年から旗本五島氏知行(富江領)。富江掛に属す。村高は,正保絵図高87石余,万治2年今高97石余,正徳2年高辻郷村帳99石余,うち本高87石余・内検高12石余(以上,五島編年史),「天保郷帳」99石余,慶応4年富江調帳87石余(県史藩政編)。富江領分知以前の五島御一円之時惣高帳(明暦・万治年間頃か)によれば,村高99石余の内訳は蔵入地98石余(98.1%)・寺社領1石余(五島編年史/県史藩政編)。永禄6年宇久氏の一族太田玄重が太田・琴石を領地として居住して太田氏を名乗ったといい,玄重は平戸を攻めたが戦没,子の玄定は文禄の役に出陣して朝鮮で戦死したという。遣唐使や宋貿易船の航路に当たる。平家の残党が逃れて太田に住みついたとの伝説もあり,平姓が何戸もあって平家の末裔という。当村は無霜地帯で,水田の裏作に麦・蕎麦・菜種・大根・馬鈴薯を栽培した。薪炭は牛に背負わせて大宝村や富江村で売りさばき,帰途日用品を購入した。弘化3年の戸数19・人数177(男99・女78),慶応4年の戸数19・人数176(富江調帳)。神社は十城別神社があり,祭神は十城別命,境内に太田玄重・同玄定を祀る五島家の紋をつけた石祠がある。寺院は宝暦10年建立の西徳寺があったが,のちに廃寺となり,近くの阿弥陀堂に本尊・脇仏・棟札が安置される。「旧高旧領」に村名は見えず,富江村1,922石余のうちに含まれており,幕末・維新期までに富江村の一部となった。現在の富江町長峰郷の一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219881