東空閑
【ひがしこが】

旧国名:肥前
島原半島の北東部,湯江川右岸に位置し,有明海に臨む。地名は,江戸初期には古賀と書かれたが,古賀村(現長崎市)を西古賀としたのに対し東空閑と表記するようになったと考えられる。地形は火山性扇状地の緩やかな斜面をなすが,平坦部が多い。地内境の松は大野原遺跡の一角を占め,弥生中期の甕棺が出土。宇古城元には戦国期の城砦跡(東空閑城)があり,境松川(城之江川)はその外堀的な存在。城主は有馬氏の家臣古賀越後と伝えられる。フロイスは,1563~64年(永禄6~7年)の記事で「古賀殿」を「有馬の国主の家臣で……堅実で勇敢なカピタン(主将)」と書いている(フロイス日本史9)。
【東空閑村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【東空閑(近代)】 明治22年~昭和30年の大三東村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7222419 |




