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下網田
【しもおうだ】


旧国名:肥後

宇土(うと)半島中央部の雄岳の北西側傾斜地と網田川中・下流域の低平地に位置し,北は有明海に臨む。海岸には甑岩があり,雄甑・雌甑の2つが並び,満潮時には嶼のようであり,付近に馬蹄石があったという(肥後国誌)。甑岩は熊本~三角(みすみ)間の道路建設により破壊された。また御輿来(おこしき)という字があり,景行天皇が九州巡幸の際に御輿をとどめたという伝承が残る。雄岳には雄岳城があったといわれ,ふもとには天文14年銘の阿蘇大宮司忠光院の石碑や阿蘇惟長の墓と伝える石碑がある。また中腹に長福寺跡の薬師堂があり,元徳3年銘の薬師如来木像があった(熊本県史跡名勝天然記念物調査報告)。なお堂前には鎌倉様式といわれる100基近い五輪塔が並ぶほか,西方山麓には天文10年銘の板碑や五輪塔などが散在する。
下網田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
下網田(近代)】 明治22年~昭和41年の大字名。
下網田町(近代)】 昭和41年~現在の宇土市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7225552