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高樋荘
【たかひのしょう】


旧国名:肥後

(中世)鎌倉期~南北朝期に見える荘園名。合志(こうし)郡のうちか。保名でも見える。建久6年6月27日の官宣旨案(壬生家文書7/図書寮叢刊)に「便補管肥後国高⊏⊐(樋庄カ)地頭」とあり,当荘地頭と称して非法をはたらいた阿蘇大宮司某を召し進めるよう大宰府に命じている。建武3年12月26日の光厳上皇院宣(書陵部所蔵壬生文書/南北朝遺817)には「肥後国高樋庄」とあり,当荘などの知行を壬生遠に安堵している。また同4年3月3日の同上皇院宣案(山城壬生文書/南北朝遺865)の奥に書かれた壬生殿知行之書立にも「一,肥後国高樋庄」とある。下って康永元年7月7日の足利尊氏寄進状写(肥後寿勝寺誌所収/南北朝遺1806)によると,「同(肥後)国高志郡高樋保地頭職〈遠江内供房跡〉」を宇土(うと)郡の寿勝寺に寄進している。同年8月19日の高師直奉書写(同前/南北朝遺1842)は,これをうけて少弐頼尚に同保地頭職と寿勝寺雑掌に沙汰付けするよう命じ,同年11月18日の少弐頼尚施行状写(同前/南北朝遺1878)で,同じ旨を守護代に命じている。翌2年11月19日の足利直義寄進状写(同前/南北朝遺1972)では,改めて「高樋保」を寿勝寺に寄進している。下って正平11年6月日の恵良惟澄申状案(阿蘇文書/大日古13‐1)には「宇土壱岐守拝領之安国寺〈本名号佐野寺〉料所同国高樋保〈号久米〉被没収畢」とあり,同保は南北朝初期に宇土壱岐守に宛行われていた。旧合志郡久米村(現菊池郡泗水町久米)に比定する説が有力である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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