水俣
【みなまた】

旧国名:肥後
水俣川・湯出川が合流して八代(やつしろ)海に注ぐ河口付近の平地部に位置する。西は八代海に面するが,三方は山に囲まれる。地名は両河川が交差することにちなむとみられ,高山彦九郎の「筑紫日記」寛政4年3月4日条には「水俣福(徳カ)富織田氏に従者四人にて矢筈岳へ登らんとて水俣町を出で水俣川を橋十五六間にて渡り左右に川を見る因て水俣と称す」とある(高山彦九郎全集4)。先土器時代の石飛遺跡,縄文中期の南福寺貝塚,弥生時代の初野貝塚などのほか,初野にはオツカ古墳群があり,中世水俣城跡もある。
【水俣郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【水俣(中世)】 南北朝期から見える地名。
【水俣村(近代)】 明治22年~大正元年の葦北郡の自治体名。
【水俣町(近代)】 大正元年~昭和24年の葦北郡の自治体名。
【水俣市(近代)】 昭和24年~現在の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7227850 |




