宇佐郡
【うさぐん】

旧国名:豊前
古代~近代の郡名。豊前国東端に位置する。東は豊後国国東(くにさき)・速見(はやみ)両郡,西は豊前国下毛(しもげ)郡,南は豊後国大分・玖珠(くす)両郡に接し,北は周防灘。南部は山地,北部は中津平野で,南部山地に発する恵良川・津房(つぶさ)川などを集めた駅館川が北部中央を北流して周防灘に注ぎ,他に東端を寄藻川が,西部を伊呂波川が,それぞれ北流して周防灘に注ぐ。全国八幡神の淵源である宇佐八幡宮の鎮座地で,歴史は古く豊かである。「日本書紀」神武紀に「行きて筑紫国の菟狭に至ります。時に菟狭国造の祖,号を菟狭津彦・菟狭津媛と曰うものあり。乃ち菟狭の川上に足一騰(あしひとつあがり)宮を造りて饗へ奉る」,「古事記」に「豊国の宇沙に到りませる時に,其の土人名は宇沙都比古・宇沙都比売二人,足一騰宮を作りて大御饗献りき」とあり,また「国造本紀」に「宇佐国造,橿原朝高魂尊の孫宇佐都彦命を以て国造と定め賜う」,「天神本紀」に「天三降命は豊国宇佐国造の祖」とある。
(古代)「和名抄」による郷は,野麻【やま】・酒井・葛原【くずはら】・封戸【ふべ】・向野【むくの】・広山・垣田・高家・深見・辛嶋の10郷。
(中世)宇佐宮の荘園体制は平安末期の宇佐氏大宮司4代の間に確立を見る。
(近世)天正15年5月九州を統一した豊臣秀吉は,同年7月豊前国のうち宇佐・下毛・上毛【こうげ】・築城【ついぎ】・京都【みやこ】・中津の6郡(ただし当郡のうち妙見・竜王の両城は除く)12万5,000石(一説には15万石)の領主として黒田孝高(如水)を配した。
(近代)明治4年の廃藩置県では日田・厳原・中津・島原の4県が成立するが,同年11月には小倉県に編入,翌5年2月には四日市に出張所を設置。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7228980 |