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大分社
【おおいたしゃ】


大分市羽田字宮田に鎮座。祭神は豊門別命・小錦上大分君稚臣を祀る。大分君稚臣は壬申の乱に大海人皇子方として奮戦した人で,当時の大分国造であろうといわれている。旧郷社。大分田宮・大分田大明神・津守大分宮・西寒多社とも称した。ただし,これを式内大社の西寒多神社と混同してはならない。創祀年代は未詳。元禄13年の棟札銘文によれば,貞観11年3月22日,滝尾山に勧請したと伝え(雉城雑誌),もとは大分郡上野六坊村に鎮座したという(全国神社名鑑)。「大分大明神由緒書上」には「大友一法師様御下向之刻,御こんりうなしおわぬ」とあり(大分社文書/県史料9),社伝には「建久年中,大友能直当国ノ守護トシテ,下向ノ刻,当国ノ宗廟一之宮タルヲ以,崇敬浅カラズ」とあって(雉城雑誌),大友氏との関係を示す。永和2年4月1日付の田原氏貞書下に「津守庄地頭方大分田宮まつり間事」について「めん神事おいてハ,任先例そのさたをいたすへき也」とあり(大分社文書),また文明5年11月15日付の田吹繁綱・幸野有松連署書状に「津守大分宮かり殿斗にて候を,親繁様 改為御中興御建立候。雖然於以後上葺修理,懈怠候てハ無曲存候。所詮毎年為酒肴銭,弐貫四百文進納候。是を永代為上葺修理銭,御寄進之由,被仰出候」とあるように(大分社文書),大友氏は当社の祭祀・社殿の建立および復興に努めたことが数多の社蔵文書によって知られる。天正14年の兵火で焼亡し,明暦2年現在地に遷座(雉城雑誌)。江戸期には真言宗の滝尾山西寒多寺の境内にあって,西寒多社と称し(関氏記録/大分市史下),明治4年に大分社と改称。大正14年郷社に列した(全国神社名鑑)。例祭は10月14日。境内に康永4年銘の石灯籠があり,社蔵文書は「大分県史料9」に所収。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7229215