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小林
【こばやし】


旧国名:日向

古くは三ツ山(三之山)とも称した。南西から南東にかけて連なる韓国(からくに)岳・夷守(ひなもり)岳・高千穂峰などの霧島連山の山麓に位置し,その山麓一帯は緩傾斜をなして台地と夷守岳の扇状地が広がり,さらに岩瀬川流域の小林平野を形成している。西は加久藤カルデラ,北部はジョウゴ岳をはじめとする九州山地で熊本県と境を接している。北部の九州山地に源をもつ浜ノ瀬川は,東南に流れて三の宮峡・陰陽石を経て岩瀬川と合流し,岩瀬川はやがて大淀川に合流して太平洋に注ぐ。扇状地には湧水が豊富で,大出水などの地名もある。中世には三ツ山(三之山とも書く)と称することもあり,その由来については江戸期の「三州御治世要覧」に「伝ニ霧島山ニ岳三ツ有故,以前ハ三ノ山と為申由」と見え,この3岳とは韓国岳・夷守岳・高千穂峰の霧島三山を指すともいう。同書には「又或半分ハ以前より小林ト為申由モ申候」ともあるが,「小林誌」はこれを否定している。小林の名の初見は,永禄6年2月23日の島津貴久立願条々(霧島神宮文書/日向古文書集成・鹿児島県史料拾遺8・旧記雑録後1)に「一至小林城働之事 指寄候て喜ならば一鬮」と見える。「上井覚兼日記」では天正2年から4年にかけて再三にわたって「三之山」が出てくるが,同11年11月26日の項に「小林にて愚弟次郎左衛門尉処へ着候」と初めて小林の名が見える。しかし,この小林城の小林の呼称も「棟札 奉造立日刕諸県郡真幸院小林」「小林名中之竿当知行」(延享5年神社由緒宝物棟札万改帳)と見られるように,本来は「真幸院小林名」に由来するものではないかと考えられる。以後島津氏の外城取立によって地頭所も小林城となり三之山にかわって,外城名としての小林の呼称が慶長初年には定着したらしい。慶長19年知行目録には「日州小林真方村之内」(永井家文書)とある。小林の地名は,林があったことによるものか。地内東方の本田には県史跡の縄文時代早期から前期の本田遺跡があり,また水流迫(つるざこ)下之平,細野の城山,真方の新田場,松之元に地下式横穴墳が点在し,小林古墳として県史跡に指定されている。さらに真方の坂元には県史跡の伊東塚があり,元亀3年伊東軍の木崎原合戦で戦死した武将の霊を供養している。水流迫の炭床には県文化財の天文10年刻銘の六地蔵幢がある。また南西方には国天然記念物に指定されているエヒメアヤメ自生南限地帯がある。そのほか細野の水落に景行天皇行宮跡,同十日町には「延喜式」に見られる「夷守駅跡」の伝承が伝わる。
小林(中世)】 戦国期に見える地名。
小林郷(近世)】 江戸期の郷名。
小林村(近世)】 江戸期の村名。
小林村(近代)】 明治22年~大正元年の西諸県郡の自治体名。
小林町(近代)】 大正元年~昭和25年の西諸県郡の自治体名。
小林市(近代)】 昭和25年~現在の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235017