田代
【たしろ】

旧国名:日向
耳川中流の山間地に位置し,南東部には珍神山(仏野),南西には日陰山がそびえる。耳川とその支流の沿岸に11の集落が点在する。地名の由来は,嘉応年間に当地方の豪族田代太郎政則が当地を支配していたこと,また耳川上流の山地から眺めると当地で急に田が開けたようにみえることにちなむという。地内には原良石棺,田代太郎の墓,上野城跡があり,また嘉応元年田代太郎開祖,茅外大和尚開基という大雄寺には明徳2年の雲版が保存され,県文化財に指定されている。雲版は銅製で,高さ62.5cm・幅57.3cmの大きなもので,蓮華形の撞座の右側に「寿昌庵常住打板也」,左側に「明徳二年辛亥卯月日」の銘文が陰刻されている。田代神社の御田祭は毎年7月7日に行われるきわめて原始的な農耕儀礼で,10a余の宮田の中での泥まみれの祭りである。古来からの世襲制の家柄を中心に祭事役(ミヨド・ウナリ・ノボリモチ)を務め,これに一般参加者も加わり,神人・牛馬一体となって神田の整地を行い,無病息災と豊作を祈願する。この祭りには催馬楽の歌詞も伝えられ,古来の田楽神事がしのばれる近郷では珍しい民俗行事で,特にウナリが飯桶を持ち見物人に赤飯を配る姿は,京都の大原女,伊豆七島の大原女の風姿である。
【田代(中世)】 戦国期に見える地名。
【田代村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【田代(近代)】 明治22年~現在の西郷村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7235404 |




