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都井岬
【といみさき】


県南部,串間市南東部に位置する志布志湾東端の岬。日南海岸国定公園に属する。南那珂山地(鰐塚山地)に属する高畑山を頂点とする山塊が,半島状に日向灘に突出し,地形は複雑な丘陵状をなす。北から南東方向に屈曲し,標高約200m,長さ4km,幅2km,面積約8km(^2)。日向十景の1つで景勝地として知られる。岬馬と呼ばれる野生馬や,ソテツの自生林,坊主屋敷の野猿,灯台など自然美豊かな観光地である。ソテツの北限自生林約3,000本は,昭和27年,都井岬ソテツ自生地として国特別天然記念物,また,290年近くの自然放牧に耐えぬいた岬馬は,昭和28年岬馬およびその繁殖地として国天然記念物に,いずれも指定された。岬の所在地串間市は,昭和29年に福島町および大束(おおつか)・本城(ほんじよう)・都井・市木(いちき)の各村が合併して市制を施行した。この地域は荘園時代から櫛間(くしま)院と呼ばれ,島津氏の勢力圏にあった。肝付氏・野辺氏などがこの地に拠ったが,天正15年豊臣秀吉の九州統一後,秋月氏(高鍋藩)に与えられた。ここは犬猿の仲であった鹿児島藩島津氏と飫肥(おび)藩伊東氏との緩衝地帯の機能を果たしていたようである。都井は古くは荒井谷と呼ばれ,のちに後土肥と改められ,庄屋の日高百馬により,都井と命名されたが由来は定かではない。北上する黒潮は岬沖に接近して,北東に転じ,その黒潮の影響で年間平均気温16.6℃,降水量2,129mm,平均湿度78%である。海岸は海食崖の絶壁がほとんどで,都井岬灯台下で十数m,低い所でも3~5mあり,漁船の接岸可能な場所は5か所である。昭和4年に完成した都井岬灯台(灯高255m,光度130万カンデラ,光の到達距離37.5海里,灯質閃白色,15秒ごとに1閃光)のある岬端地域は,硬い砂岩が浸食に抗して残る。岬の基部は頁岩(砂岩を伴う)や頁岩砂岩互層が交互に分布するが,これらは日南層群(7,000万~2,600万年前)上層部の岩石である。また,なお姶良火砕流(シラス・灰石)は市木・本城には分布するものの,都井峠を越えてはいない。岬基部の東側の谷に宮の浦,西側の谷に都井,さらにその西の谷に黒井の各集落が立地している。小松ケ丘(標高287m)―扇山(標高295.3m,昭和28年無線方位信号所〈電波灯台〉F4860開設)―灯台高地(標高約250m)を結ぶ中央稜線から分布する小さい尾根の間に渓谷が刻まれ,13の小河川が岬を巡る三方の海に注いでいる。岬周辺には黄金瀬(おごんせ)(黄金の瀬)・サクエ・ナクエ・マサカリなどの岩礁があり,水域はイシダイからメジナまで魚族も多く,釣場の適地である。なお,岬西方の岩礁トセンバイは玄武岩溶岩で注目される。6月頃には黒潮に乗ってきたトビウオの大群が岬沿岸で産卵する。この産卵期には,追込船から海面に小石を投げて,トビウオを親船の網に追い込む原始的漁法が行われている。岬の丘陵一帯の草原は,昔から岬馬の放牧地で,5.5km(^2)に野生馬数十頭が生息している。野生馬は純血度の高い日本の在来馬で,外来馬との交雑を免れて自然繁殖した。歴史的には高鍋藩主秋月氏が元禄10年領内7か所に開いた馬牧地の1つで,現在は都井御崎牧組合の管理下にある。岬の83%は樹林地で,飫肥杉が75%を占め,ほかはヒノキ・タケ・タブなど樹種は42に及ぶ。タブノキの葉やホウロクイチゴの茎や葉柄などは,下草などとともに冬の岬馬の飼料となる。岬の突端に和銅元年創建の御崎神社があり,海難よけ・縁結びの神として信仰されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235530