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三田井
【みたい】


旧国名:日向

九州山地中央部,五ケ瀬川上流,高千穂盆地の中心部に位置する。山間に立地する西臼杵(にしうすき)郡で最も平坦な地にある。南から西にかけては五ケ瀬川が流れて高千穂峡を形成し,東は五ケ瀬川支流岩戸川が岩戸川渓谷を形づくっている。北は小坂峠の山地。古来高千穂庄の中心部で,日向・肥後・豊後の各方面を結ぶ交通の要地である。古来当地を中心とする高千穂郷が天孫降臨の伝説地であるため,神話につながる伝説が多く,地名の由来もそれにかかわる。三田井の地名の由来は,古来3つの田と3つの井があることによると伝えるが,3つの田とは御守田・比波里田・美録田の3田,3つの井とは真名井・忍穂井・去来井(いざい)の3井。このうち美録田は種子を蒔かなくても自然に稲が生えることもあるので不蒔田(まかずだ)ともいう。真名井は別に神代川ともいい,天孫降臨の際,当地に水がなかったので,天孫が天村雲命を高天原に再び上らせ,高天原の水を当地の藤岡山の麓の井に注いだら,いかなる天候にも不増不滅の井となり,高天原の真名井の名をそのまま移して当地の井名になったといい,このことは奥村弘正「勢州古今名所集」に「件の真名井の水は天上より降り座す,始めは筑紫日向の高千穂の山に据置給ふ,其後丹波興佐の宮に移し居置給ふ,豊受大神勢州山田に御遷幸,仍役水を藤岡山の麓に置祝ひ奉り,朝夕の大饌水とす」とある。また一説には三田井は美田居に由来するともいわれ,比波里田・御守田は高千穂神社の御供田で,昔は13歳未満の乙女の手で稲を収穫して神に供えたと伝える(三田と三井に関する資料)。当地には考古遺跡が多く,縄文早期の遺物が地内川登・浅ケ部・上原などから発見されている。また県史跡の陣内遺跡からは,県の調査で縄文前期から晩期までの長期にわたる遺物が多数発見され,中でも後期の女性土偶や,折損してはいるが長さ52cm・直径4cmの石棒は県下唯一のもの。さらに陣内遺跡特有の土器があり,考古学的に「陣内式」と名付けられている。古墳も旧高千穂18か村の中で当地が一番多く,高千穂町内の半数を占める約60基が認められ,うち6基は前方後円墳,11基が円墳,残りが横穴古墳である。これらは隣接地の古墳とともに高千穂古墳として県史跡に指定されている。当地の中心地に鎮座する高千穂神社は,その由緒が非常に古く,垂仁天皇朝の創建と伝え,すでに千百数十年の昔に神階を授けられていたことが,「続日本後紀」巻13の9月19日の項に見え,「日向国无位高智保皇神,无位都濃皇神並奉授従五位下」とある。高智保皇神は現在の別表神社高千穂神社で祭神,天津彦火々瓊々杵尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の皇祖3代とその3妃を指しており,都濃神社とともに日向国の一宮であった。「日本書紀」巻3に,神武天皇の皇兄三毛入野命は,熊野から浪の秀を踏んで常世国へ往でますとあるが,この地方では古来,三毛入野命は再び高千穂へ帰り,帰ると鬼八という悪者が良民を苦しめていたので,家臣丹部・富高の両大臣とともにこの悪者を斬って埋めたが,鬼八は魔力で一夜にして生きかえったので,今度は頭・胴・手足と3つに切って3か所に埋められた。それからは蘇生しなかったが,その怨念によってその後毎年早霜を降らせ,農作物に被害を与えたので,後世人身御供に代えて,盛大な猪の巻狩りを行い,鬼八の碑前に供えて「ししかけ祭」を行ったと伝えており,その祭りに限って舞われる笹振り神楽は古代神楽の伝統を残すものといわれ,現在国重要無形民俗文化財に指定されている高千穂夜神楽とは,まったく異質のものである。三毛入野命はその後高千穂に定住し,その神孫が後世の高千穂領主高千穂氏(のち三田井氏を称する)であるという。高千穂皇神社は,この三毛入野命とその妃や皇子をも合祀して,近世には十社大明神と称し,高千穂18か村88社の総社であった。同社の男神像と女神像(4躯)は県文化財。また境内にある根まわり8.5m,樹齢700年の秩父杉といわれる巨杉は,武蔵国秩父の庄司畠山重忠が源頼朝の代参として高千穂神社に参拝した際,砂金をはじめ真紅の総角などを神前に供え,記念に境内に挿したものと伝える。当地は天孫降臨神話の中心でもあるが,それを迎えた土着の地神の伝説もあり,猿田彦命を祖神と祀り,山の氏という特異な姓を名乗る興梠氏は,地神の裔であるという。
三田井郷(中世)】 南北朝期~戦国期に見える郷名。
三田井村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
三田井(近代)】 明治22年~現在の大字名。




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「角川日本地名大辞典」
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