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石垣港
【いしがきこう】


石垣島南西部にある国の重要港湾。方言ではイシャナギンナトゥという。石垣市街地南側に位置する。かつての石垣港周辺の海は単調で遠浅の砂浜海岸であったため,港としての立地条件は悪く,王府時代から現石垣港の東方約200mの美崎泊が港として利用されていたが,御用船などは沖合いで停泊し,伝馬船で中継ぎをしていた。風波の荒い時には石垣島北西部の川平(かびら)湾が利用されたこともある。石垣島は八重山諸島内の政治・経済・文化の中心地であるのみならず,沖縄本島―宮古島―石垣島―台湾を結ぶ中継点としての重要性が増してきたため,大正13年に民営の八重山桟橋株式会社によって木造桟橋が築造され,石垣港としてはじめて開港した。しかし,昭和8年9月の石垣島台風で破壊され,民営は困難となり,同10年には石垣町が引き継ぎ,4万3,000円余の国庫補助を受け,コンクリート桟橋を築造した。しかし遠浅のため,中型船以上は依然として,石垣島と竹富(たけとみ)島との間での停泊を余儀なくされ,貨客の輸送ははしけによる状況であった。近代的港湾建設の要望は,戦後大きな盛り上がりをみせ,昭和29年琉球政府立法第59号で重要港湾に指定された。翌30年には八重山郡内の各行政機関・各経済団体などが,琉球政府や米民政府に港湾建設を要請した。昭和31年9月琉球立法院は,石垣市の港湾建設資金を含む開発移住特別予算を成立させた。その際,港湾建設位置について富崎東方の船蔵・名蔵湾・宮良湾などの候補地があった。各方面から検討した結果,現桟橋の航路を浚渫し,その土砂で西側の公有水面を埋め立てて岸壁を拡張することになり,昭和35年から着工し,同40年に完成,2,000t級の大型船の接岸が可能となった。浚渫土砂を利用して埋め立てられた面積は16万4,096m(^2)で,同41年美崎町と命名され,現在石垣市の主要行政官庁が集中し,商業地域として発展している。浚渫工事はさらに継続され,美崎町西側も埋め立てられて同44年面積28万3,745m(^2)の新栄町が造成され,石垣漁港も建設された。同47年の復帰に伴い,石垣港は国の主要港湾の1つとして港湾法に基づく重要港湾に指定された。翌48年から改良工事が年次的に進められ,バース・泊地・防波堤・荷揚場などが整備されつつある。同時に航路浚渫も行われ,美崎町と新栄町の南側に19万7,549m(^2)の浜崎町が同53年造成された。石垣港は宮古島,沖縄本島および県外を結ぶ港としてのみならず,八重山内の竹富町の各離島,および与那国島とを結ぶ定期船が発着するなど,海上交通に重要な地位を占めている。また近年の観光ブームで,マリンレジャーの基地ともなっている。昭和57年度における入港船舶は2万2,878隻,総トン数309万3,000t,港湾取扱貨物量は74万3,000t,船舶乗降客人員数51万4,000人で,年々増加の一途をたどっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239771