奥武岬
【おうみさき】

沖縄本島中部,北中城(きたなかぐすく)村渡口の東端にあり,中城湾に突出する岬。方言ではオウザチ・オウグヮーという。先端をユニといい,白砂が堆積する。ユニは米のこと。昔は,この岬の鼻に白砂が多く堆積すれば豊年,少なければ飢饉の年だといい,白砂が多く寄り集まるよう祈ったという。奥武岬はかつては岬ではなく,小島で,17世紀中葉以降に薩摩で作られた琉球明細総図には「あふ島」と見え,明治36年県管内全図でも,北の泡瀬島が陸繋島となっているのに,こちらはまだ小島のままになっている。しかし大正2年「中頭郡誌」の図,同3年県管内里程調査図では陸繋島になっている。岬西方のオウムイ(奥武森)は島尻層の細粒砂岩からなり,標高25m。その周辺に多くの掘込みの墓が造られている。岬の先にフィファムイ(ファグヮヤーともいう)といわれる岩があり,もとは現在の2倍程の大きさで,奥武森とつながっていたという。フィファムイには,東に向いて開いた岩穴があり,その中に人間では持ち上げられないほど重い三味線があって,岩穴から妙音が聞こえたと伝える。昭和20年までは奥武森の北側に渡口オウグヮー・比屋根オウグヮーという数軒の集落があり,農業・漁業や塩を生産して生計をたてていた。沖縄戦後,奥武森と比屋根集落の間に米軍が飛行場を造った時に,奥武森西のオウムイグヮーという丘が削り取られ,集落もなくなった。飛行場跡地は,米軍の泡瀬通信施設として使用されていたが,昭和51~52年に同施設敷地の大部分が返還された。現在,奥武森の西方に中城・北中城村清掃事業組合のし尿処理場が置かれている。周辺は,昭和62年の国民体育大会の主会場と決まり,総合運動公園の建設工事が進められている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7240013 |