兼城
【かねぐすく】

旧国名:琉球
方言ではカナグスク・カニグスクという。沖縄本島南部,那覇(なは)港に注ぐ国場川上流に位置する。第三紀層のクチャ(泥板岩)からなる丘陵と,安里又川と手登根川が形成する低地からなり,土壌はクチャが風化したジャーガルである。「旧記」にある川湊(江港)のうち前江・後江は宮平川・国場川の上流,山田江・石江は山田原・石原にそれぞれ比定でき,往古は南北に川の流れる低地であったらしい。内嶺グスク(兼城城)内の通称南風のミーにおいてグスク時代の遺物が確認されており,南と西の斜面からは青磁や土器片が出土する。玉城王の末子大城按司の次男稲福大主が,新屋大主の養子となり,村立てしたと伝える。北山王攀安知の五男虎寿金は,尚円王代(1470~76)に兼城按司となり,彼の功績は「兼城くゑな」に謡われている(クェーナ61/歌謡大成I)。
【兼城村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【兼城(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7240228 |




