具志堅
【ぐしけん】

旧国名:琉球
方言ではグシチンという。「おもろさうし」には「くしけん」と見える。沖縄本島北部,本部(もとぶ)半島北部に位置し,東シナ海に面する。天孫氏25代が滅亡したとき,同系の今帰仁(なきじん)城城主も追撃に遭い,難を避けて具志堅に逃れたと伝える。その場所は,現在の具志堅集落形成前の通称プルグシチン(古具志堅)である(具志堅誌)。古具志堅は現集落の南方約500m,標高約60mの南面した山麓に位置した。古具志堅から移った具志堅村,尚円王ゆかりの上間村,西方丘陵地から移った真部村の3か村の合併によって形成された現集落西部の地域をプシマ(大島)といっている。その後形成された地域をミージマ(新島),さらに新しく形成された地域をサガヤ(佐賀屋)と呼んでいる。いずれも大島の北東に位置する。「球陽」に,「本部間切上間村(今具志堅邑と称す)の上間大親」はもと伊是名(いぜな)島の人で,金丸(尚円王)とともに国頭(くにがみ)に渡り,上間村に移居したという(尚円王条)。なお,金丸が伊是名島を出たのは,正統3年(1438)のこととされる(中山世鑑)。沖縄考古編年前Ⅴ期の松部原貝塚,後期の具志堅貝塚やアキキナ原遺跡がある。また,「御教条」や旧慣期の役職辞令書を保存する仲里家や,史跡としての上間殿内などがある。
【具志堅村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【具志堅(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7240451 |




