西銘
【にしめ】

旧国名:琉球
方言ではニシミという。久米島の西部に位置し,宇江城(うえぐすく)岳南麓から,だるま山南麓の山地を含む。久米島で最も早く開けた地といわれ(久米島史話),低位段丘上に水田を作り,現在も集落内に地名を残す垣花・新垣・西平のマキョ集落が発展して成立したと考えられる。沖縄考古編年前Ⅴ期の大田辻貝塚があり,マキョとの関係も考えられる。「おもろさうし」巻21‐1,No.1394に,ニライ・カナイから新垣のマキョに降りたミルヤ神を謡ったオモロがある。当地に伝承される古謡で,稲祭の時,稲作豊穣を祈願して謡われる「ツマ・ウマチイオモロ」に,新垣森が見え(ウムイ436/歌謡大成Ⅰ),そのほか「城下り道オモロ」「ウムヤギヌマーチューのおもい」の中に見えるナガのまあつ・ウムヤギは,西銘のうちの集落名と思われる(ウムイ447・210/同前)。
【西銘村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【西銘(近代)】 明治41年~現在の具志川村の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241366 |




