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三原
【みはら】


(近代)昭和26年~現在の字名。はじめ久志村,昭和45年から名護市の字。沖縄本島北部東海岸,汀間(ていま)川の中流に位置する。もとは久志村汀間・嘉陽・安部(あぶ)の各一部。明治12年の廃藩置県後,首里などからの移住者が小字志根垣・道垣・慶屋を中心に定着。この3小字をもとに大正14年行政区として成立。名称は,3つの原(小字)で構成されたことによる。昭和22年に安部の福地原,嘉陽(かよう)の福地原を合わせ,現在の区域となり,同26年地籍字となった。北方の一ツ岳から発する志根垣川・ゲーヤ川・福地川の中・下流の低地にそれぞれの集落が立地する。この低地は主に水田として利用されてきた。イピー原の水田は汀間の米作りの発祥地と伝え,山麓には米作豊穣を祈願する拝所が設けられている。戦前は,米作のほかに炭焼きや薪取りの山仕事が盛んで,主な現金収入源であった。沖縄戦下,三原にも沖縄本島中・南部からの疎開者や避難民が押し寄せ,昭和20年8月には人口1,445を数え,翌年1月には1,245人となる。帰還許可が出て,一応の落着きをみた同22年10月には戸数214・人口988を数えた(久志村誌)。昭和21年三原小学校設立。戦後,水稲やサトウキビに加えパイナップル栽培も広がり,水田の転作物としてマコモが栽培され特産となった。世帯・人口は,昭和45年120・514,同55年107・375,同年の就業者総数160うち第1次産業従事者64・第2次産業従事者50・第3次産業従事者46。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241823