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与根
【よね】


(近代)昭和26年~現在の豊見城(とみぐすく)村の字名。方言ではユニという。もとは豊見城村志茂田の一部。古老の言伝えによると,明治期に我那覇(がなは)村・伊良波村その他の村落から人々が寄り合って屋取を構えたという。豊見城村内では,屋取から字となったのは,当地だけである。「豊見城村史」によれば,我那覇村の人が当地の沖で漁をしていたが,やがて海岸に仮小屋を作り,寝泊りをするようになったのが集落の始まりという。海岸に点在する漁家の集落であった。集落の南東に珠数森があり,「由来記」によれば,雨乞のとき最後に拝むところであった。珠数森の近くに土帝君があり,毎年旧暦3月4日に祭祀が行われる。土帝君は道教では農業神として信仰されているが,当地では農作物の豊穣を祈願するとともに,沖縄にサツマイモをもたらした野国総官に対する謝恩の祭りでもある。また与根は第2次大戦前から戦後を通じて,製塩地としても知られた。はじめ那覇(なは)の出身者が製塩を始め,戦後は地元民も製塩に従事し始めた。昭和47年の復帰まで,沖縄本島南部の塩の主産地で,ユニマース(与根塩)の名で知られた。その後,同50・53年に,2業者に対して製造が許可され,現在では年間900tを生産している。特産物としては,藺草の栽培が盛んであったが,現在は衰微している。世帯・人口は,昭和45年207・1,172,同52年259・1,575で,村内でも大きな字となっている。同55年の「農業センサス」によれば,総農家数104戸うち専業農家25戸,経営耕地面積4,383aで村内第2位,収穫面積は,野菜類は2,243aで村内第3位,サトウキビは2,733aで村内第2位。サトウキビの昭和54~55年期の生産量は2,962t。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7242047