100辞書・辞典一括検索

JLogos

24

江刈内村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。岩手郡のうち。盛岡藩領。沼宮内【ぬまくない】通に属す。村高は,「邦内郷村志」では江苅内村と見え139石余(うち給地78石余),天保8年は140石余,うち蔵入高61石余・給所高78石余(御蔵給所惣高書上帳),「旧高旧領」140石余。なお,「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には当村の名が見えず,「仮名付帳」には沼宮内村の枝村として見える。「邦内郷村志」では,家数68,馬79,本村のほか集落は大久保・沢口など4,神社は稲荷社・愛宕社。「本枝村付並位付」によれば,江苅内村と見え位付は中の上,家数99,集落別内訳は本村19・野口60・大久保5・沢口5・室ケ沢1・甲子9。沼宮内町に接する奥州街道筋と江刈内川に沿って形成された。また,犬袋・岩瀬張・笹渡などは沼宮内村分となっている(邦内郷村志)。奥州街道から一方井【いつかたい】村・寺田村へ通ずる西根街道が分岐し,苗代沢橋で北上川を渡る。「北奥路程記」によると,沼宮内村分の犬袋から北に松並木を北進し,苗代沢で西根街道を分岐し,江刈内川を渡るあたりに人家が描かれ,野口は沼宮内町の入口で町続きであり,木戸門によって区切られている。野口には元禄5年作の阿弥陀如来を本尊とする浄土庵があったが,明治初年に廃寺となった。寺子屋は嘉永年間に1軒がある(岩手町史)。明治元年松代藩取締,以後盛岡藩,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属。同12年北岩手郡に属す。同13年沼宮内戸長役場の管下となる。明治12年の村の幅員は東西約3里27町・南北約1里5町,税地は田12町余・畑198町余・宅地12町余など計227町余,戸数172・人口784(男410・女374),馬161,職業別戸数は農業137・工業14・商業3・雑業15,物産は馬・鶏・鶏卵・米・大麦・小麦・大豆・小豆・粟・稗・蕎麦・麻糸・太布(管轄地誌)。明治14年の民有地は田12町7反余・畑200町余・山林1,103町余・原野99町余(県庁資料)。愛宕神社は村社となる。明治22年沼宮内町・御堂村の各大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7253080