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世田米(中世)


 戦国期に見える地名。気仙郡のうち。天正15年と推定される10月26日付の遠野孫次郎宛の葛西晴信書状には「急度啓入候,仍而兼而以使者不能音問候事,無心元次第候,随而信安,世田米下向之事,来二日ニ治定候,依之,大儀千万候共,世田米迄越来可然候」とあり(南部寛政記録所載文書),晴信は閉伊郡遠野領主の阿曽沼孫次郎に信安なる使者を世田米に下向させるので,同地で両方の会談を開くことを提案している。会談の理由は不明であるが,気仙郡の浜田氏の動向と関係があると思われる。会談の場所が世田米とされたのは,阿曽沼孫三郎広郷の室が世田米修理の女であったためとみられる。慶長5年,広郷が鱒沢一派の謀反で亡命した地も当世田米の地であった(県史3‐115頁)。地内の字火石の世田米城は室町初期(ママ),葛西晴信が家臣阿曽沼氏を当地に配した際の築城という。500m×300mの山城。本丸・二の丸の跡が残る(城郭大系2)。また,無年号の中世板碑も数基ある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7254026