100辞書・辞典一括検索

JLogos

17

長岡通(近世)


江戸期の盛岡藩の通名同藩の郷村支配のための地方行政区域の1つ紫波【しわ】郡のうち「邦内郷村志」では長岡県と見える当通の設置年代は不詳であるが,「邦内貢賦記」の天和2年のものと推定される記事に当通の名が記載されていることから,この頃までにはすでに存在していたと考えられる「県史」5では,寛文6年~天和3年の総検地実施過程で確定されていったものと推定している「邦内貢賦記」によれば,所属の村は彦部・大巻・星山・犬吠森・草刈・西長岡・東長岡・北田・山屋・赤沢・船久保・遠山の計12か村,惣高は5,193石余,うち53石余は諸役御免(ただし物成は上納),平均年貢率は4割1分3厘3毛,年貢収納米は2,147石余(うち大豆86駄)「邦内郷村志」によると,所属村は西長岡・東長岡・山屋・赤沢・犬吠森・草苅・星山・大巻・彦部・遠山・北田・船久保の計12か村,総高は6,057石余で,うち蔵入地3,592石余・給地2,460石余・社領5石,安永9年の戸数685,寛政9年の馬数1,174「本枝村付並位付」では,享和3年の村数12,家数681天保8年の「御蔵給所惣高書上帳」では村数12,総高は6,099石余で,うち御蔵高3,076石余・給所高3,023石余代官所は,郡山四代官所の1つとして日詰通と合わせて郡山二日町に置かれ(県史5),「公国史」所収の「官職志」によると,代官所の役人数は代官2・下役2・志和御境奉行1(所給人)・植立奉行1(所給人)・郡山御蔵奉行2・郡山東根御山奉行2・郡山西根御山奉行2当通の村々は,明治元年維新政府の管轄となって松代藩取締の下に置かれ,同2年再び盛岡藩領となるが,同3年盛岡県となり,同5年岩手県に所属することになる現在の紫波郡紫波町の一部にあたる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7254370