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宮古市(近代)


 昭和16年~現在の自治体名。宮古町・山口村・磯鶏【そけい】村・千徳村が合併して成立。合併各町村の大字を継承した13大字を編成。昭和16年の世帯数6,140・人口3万2,801。同22・23年のカスリーン・アイオン両台風により閉伊川が氾濫,国鉄山田線が寸断不通となり,同23年部分開通するが,同24年GHQの指令により山田線は一時営業を中止,全線復旧開通したのは同29年であった。大正12年開校の町立宮古実科高等女学校と昭和18年開校の県立宮古中学校を前身に同24年県立宮古高校が創立。また大正8年創立した宮古町立補習学校は,県立宮古高校との統合を経て昭和38年県立宮古商業高校として分離独立した。さらに同46年県沿岸精神薄弱児施設はまゆり学園が開設され,同48年県立宮古工業高校が開校した。昭和29年鍬ケ崎が宮古港開港場に指定された。同33年鮭人工孵化場前庭に鮭の里ならではの鮭霊塔造立。昭和30年崎山・津軽石・重茂【おもえ】・花輪の4か村を合併,合併各村の11大字を加え,同40年には宮古・鍬ケ崎・山口の各一部から47町,さらに同43~50年にかけて17町が起立。昭和32年出崎埠頭の1万t岸壁が完工。同35年国鉄山田線にジーゼル車を導入し,同36年花原市駅が開設された。同43年神林木材専用港完成。同年津軽石漁協と宮古漁協が合併,県内一の規模となった。同43年津軽石川下流で県道重茂半島線の稲荷橋(長さ162m・幅6m)が架橋された。PC橋単純下桁で,県内の代表的橋梁である。同47年国鉄宮古線(宮古~田老)開通,崎山に一の渡駅,田代に佐羽根駅が設置された。同59年には三陸鉄道北リアス線開通。昭和50年の世帯数1万6,992・人口6万1,912(男2万9,980・女3万1,932)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7254996