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渡波町(近世)


 江戸期の端郷名。牡鹿【おしか】郡陸方根岸村の端郷。元禄年間の村高222石余,人口1,597(牡鹿郡万御改書上),「安永風土記」によると,蔵入地で村高は田代16貫余・畑代6貫余で計22貫余,ほかに海上高710文。人頭は寛永検地の竿答百姓17から297,家数412(うち名子21・水呑9・門前1・借屋84軒)・人口2,369・馬数184。舟は役舟は穀船の天当舟2・五十集商船の茶舟1・五十集商舟の小舟10・五十集舟の小晒舟1・五十集商舟の颯波舟57の計71,無役舟は製塩用の五太木舟9・釣溜舟1・伝間舟3・漁業用小舟2・通用舟の颯波舟1の計16。産物は蠣辛・サザエ・アサリ・ハマグリ・スイカ。宿場町として繁栄し,本町・裏町・南町・新田町・新町の町場があり,また万石浦入口に立地した港町でもあり,海上取締りのために番所が置かれた。寛永年間菊地与惣右衛門が入浜塩田法を取り入れて塩田を開始し(渡波町史),塩蔵・雨除蔵・各1棟,塩焼場があり,釜屋22・塩煮釜22区,塩煮人頭81人で,年間生産高は1万312石5斗。神社は村鎮守の浜大明神社など6社。寺は元和5年開山と伝える曹洞宗法巡山宮殿寺。修験は寛永18年開院と伝える本山派常楽院。明治6年第90小学区根岸学校(渡波小学校)開校。明治8年渡波郵便局開設。明治16年渡波大火で500戸余焼失。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7257898