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長岡村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。秋田郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高168石余と推定される。「正保国絵図」では本田当高264石。「元禄7郡絵図」では347石。「享保黒印高帳」では村高459石余・当高364石余(うち本田154・本田並171・新田39)。「享保郡邑記」では40軒(うち枝郷笹島【ささじま】村18),笹島は正保3年開村。「寛政村附帳」では,格(隔)年親郷の大久保・虻川【あぶかわ】2か村の寄郷で,当高383石余(ほとんど給分)。「秋田風土記」では387石余・47戸。用水は虻川の水尻。枝郷は笹島。鎮守熊野社ほか神明宮・観音堂をまつる。長岡の村里の長は安田宅兵衛。先祖は古城主新庄右衛門太夫安則の家臣で,正保3年検地以来定着し,寛政12年火災に遭い,古文書などを焼失。焼けた5腰の大小を伝える。名作という。「天保郷帳」364石余。この頃の人口236・馬60・牛10(羽陰温故誌)。明治の郡区町村制で笠岡【かさおか】を戸長役場とする岩城【いわき】・中野・小友【おとも】・青崎の諸村と連合。明治22年南秋田郡下新城【しもしんじよう】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7260239