信夫町(近世〜近代)

江戸期~現在の町名明治22年頃,一時期米沢を冠称江戸期は米沢城下のうちで侍町の1つ明治22年からは米沢市の町名米沢城下北西部に位置する地名の由来は,米沢藩が寛文4年に30万石から15万石に減封された際,信夫郡から移ってきた士族が居住したことによる(旧米沢市町名の由来)享保10年の御城下屋敷数書上帳(県史16)では,三の丸外・北に位置し,長さ6町10間・道幅7間,家数63軒弘化3年には与板・御扶持方・馬廻などの役人屋敷55軒,明屋敷2軒,信夫七騎と称された黒沢・大関・棚橋などの7家も見える明治11年の一覧全図では,反別6町9反余,戸数87・人口442昭和35年の世帯131・人口658昭和42年住居表示実施により林ノ町・徳町・同心町の各一部を編入し,同時に一部が成島町3丁目・西大通1~2丁目の各一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7263079 |




