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阿見村(近代)


 明治22年~昭和20年の自治体名。はじめ河内郡,明治29年からは稲敷郡に所属。阿見・若栗・大室・廻戸【はさまど】・青宿・鈴木の6か村が合併して成立。旧村名を継承した6大字を編成。役場を阿見に設置。明治24年の戸数480・人口2,223,厩169,船39。同29年津田出が阿見原開墾の権利を色川三郎兵衛・鈴木安武・湯原一ら8氏に譲渡,同30年津田第一農場の農民が農商務省に陳情,阿見原騒動が起こる。同35年もと津田農場の払下げによる移住者・小作人への土地引渡し完了。明治37年の戸数478・人口2,525。同43年阿見・若栗小学校が統合して阿見尋常小学校となり,阿見原に新校舎建築。同44年県是実行模範村に指定される。大正元年農業補習学校開校。同2年の戸数583・人口3,108,田296町余・畑715町余・山林377町余,主な産物は米・麦・繭・桑(県史市町村編Ⅲ)。大正9年霞ケ浦の埋立開始。同10年青宿に霞ケ浦飛行場開設。同年臨時海軍術講習部が飛行場に設置されるが,同11年霞ケ浦海軍航空隊として独立。同13年常南電気鉄道創立,同15年土浦町~阿見村間開通。大正末期,土浦~江戸崎間の定期バス開通。昭和4年飛行船ツェッペリン号飛来,同6年リンドバーグ大佐夫妻飛来。同7年少年航空兵が実地練習のため霞ケ浦航空隊入隊。同13年常南電気鉄道廃止。昭和15年霞ケ浦海軍航空隊の水上班が独立して土浦海軍航空隊となり予科練習生の訓練開始。世帯・人口は,大正9年746・3,818,昭和10年1,236・5,694。同20年霞ケ浦沿岸の軍事施設破壊を目的とした空襲を受け,3月9日には焼夷弾攻撃,4月末から5月末の間にはP51艦載機200機の波状攻撃を受け16名が死亡している。昭和20年町制施行。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7271245