田中荘(中世)

平安末期~戦国期に見える荘園名常陸国のうち「吾妻鏡」文治4年3月17日条に「一,常陸国村田・田中・下村等庄事,或安楽寿院領云々,或八条院領,年貢可沙汰伺御倉候哉」と見える下村を下妻の誤記とすると,下妻荘は「和名抄」の新治【にいはり】郡下真郷を中心とした地域であり,村田荘は真壁郡大村郷辺に比定され,田中荘は筑波郡水守郷を含む以南の小貝川に至る地と考えられる「吾妻鏡」文治4年5月12日条では,上記の3荘はいずれも八条院領と決裁されており,田中荘は鳥羽天皇第三皇女八条院暲子に伝領された庁分荘園の一所である弘安田文の田数は「田中庄五百丁」であり(税所文書/県史料中世Ⅰ),嘉元田文には「一,下妻庄 三百七十町,一,同加納田中庄五百丁」と見える(所三男氏所蔵文書)嘉元田文の文言からみると,村田下荘とも称した下妻荘からの筑波郡域への出作により下妻荘域の東進拡大が進み,筑波南条内水守郷田中あたりまで公田の私領化が及んだといえる建武3年8月24日の九条道教家領目録案には「常陸国村田庄〈号下妻庄領家職〉同国田中庄〈号村田下庄領家職〉」とあるが(九条家文書),田中荘が村田下庄とも称したとするのは誤認である田中荘は村田荘・下妻荘との複雑な関係の中から生成発展した荘園である田中荘独自の推移をみると,同荘の最盛時,33か郷からなっていたという天正18年5月の豊臣秀吉禁制に「常陸国田中〈三拾参郷之本郷〉」とある(日枝神社文書)また,至徳3年4月29日の上杉朝宗充行状には「常陸国田中庄内小目郷」とあって,小目郷(谷和原村上小目・下小目)が荘域内であることから,33か郷は筑波郡の南北にのびる一帯と考えられる(正木文書/群馬県史)平安末期,田中荘域は常陸平氏本宗多気氏の本拠地であったが,建久4年常陸国守護となった八田知家は,筑波郡三村郷小田の地に本拠を据え,多気氏相伝の地を支配し(吾妻鏡),田中荘の地頭にはその子知氏(田中氏祖)を配したしかし田中氏は弘安8年の霜月騒動において没落し,地頭職は北条氏に帰属している元弘3年~建武2年頃と思われる足利尊氏・同直義所領目録によると,鎌倉末期の地頭は北条高時の弟泰家であった(比志島文書/神奈川県史)南北朝期,小田氏の総体的劣勢の中で田中荘は足利氏領として存続し,貞和2年5月10日の高師直施行状写に見えるように,田中荘四分の一地頭職は佐竹貞義に分与されている(密蔵院古文書/神奈川県史)また,この文書により,田中荘の経営は上杉氏などに委ねられていたといえるが不明の点も多い小田氏は応安年間,小田孝朝の代に一時荘務権を回復したが,元中3年に起こった小山若犬丸の乱への加担により再度所領は没収された諏訪大明神にあてた嘉慶2年5月24日の上杉朝宗寄進状や,同年6月の上杉朝宗充行状は,上杉氏の田中荘支配を示している(日輪寺文書/県史料中世Ⅰ)元中18年正月28日の源朝臣某寄進状,応永33年5月3日の梵方寄進状,正長元年12月25日の理恵寄進状,永享7年4月23日の某寄進状などは,15世紀前半における田中荘総鎮守日枝神社に関係する文書であるが(日枝神社文書),寄進主体の位置づけが難しい一方,応永13年11月3日の沙弥道栄充行状に見える道栄も上杉氏系の人物といわれ,上杉氏の支配は存続し(日輪寺文書/県史料中世Ⅰ),応永17年6月1日の憲直充行状案でも上杉氏と田中荘の関係を確認できる(沼尻隆氏所蔵文書/県史料中世Ⅰ)寛正4年10月5日の嘉昌書状案によれば,小田成治の田中荘押領を伝えているが,完全な旧領回復はできず,結果として小田氏の敗退に終わっている(日輪寺文書/県史料中世Ⅰ)しかし,小田成治発給文書には,田中荘に関係した感状・判物・寄進状・充行状があり,次代の政治,氏治の同荘への進出が予測できる永享13年2月1日,結城氏朝は六郎大夫に「常陸国田中庄玉取郷内てんなふ御神田,池田郷内かんとり免,倉持郷内大宮免」を安堵している(健田須賀神社文書/結城市史)小田政治は田中荘などで積極的に旧領回復を行い,南野荘惣社桑山社の造営に際し,荘内における勧進を認めているが(日輪寺文書/県史料中世Ⅰ),佐竹氏・結城氏・多賀谷氏の侵攻により天正年間には衰退したなお文禄元年3月日の大場大和他連署書状写に「氏治方土岐・菅谷,手賀城江湛々与忍入,可揚火手,謀略雖語以密儀,有壁耳泄云……結城・小山・真壁・下館領小田近所,洞下・須賀・田中之庄追日為兵乱之由有風聞,氏治帰陳之評儀専也」と見え,永禄年間頃の田中荘周辺の動向を伝えている(水府志料所収文書/県史料中世Ⅱ)熊野御師の活動も知られ,応永6年極月10日の旦那売券によれば,田中荘などの旦那職が売買されており,天文18年3月19日にも「田中庄一円海老嶋・大嶋」の旦那職が多門坊から勝逹坊に売却されている(潮崎稜威主文書/熊野那智大社文書)つくば市北西部から谷和原【やわら】村にかけた地域に比定される

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7274939 |