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邑楽郡


天正18年徳川家康の関東入部により,館林に四天王の一人榊原康政が封じられて館林藩が立藩され,のち寛文元年からは徳川綱吉が25万石をもって入封,郡内はすべて館林藩領となった。「寛文郷帳」によると,74か村すべて館林藩領で,その石高5万7,865石余,ほかに寺領8か所333石余がある。なお石高のうち田方は2万5,103石余・畑方3万2,762石余で,畑方が約57%を占めていた。館林藩は,綱吉が5代将軍になったのち子徳松の死をもって廃藩となるが,宝永4年再置され,再び郡内の過半は館林藩領となった。以後の石高・村数は,「元禄郷帳」では7万8,956石余・85か村,「天保郷帳」では8万504石余・86か村,「旧高旧領」では8万503石余・92か村。特産には宝暦年間から始まった中野絣がある。利根川沿いに位置するため舟運が盛んであり,古戸・古海・舞木・川俣・千津井・飯野に河岸が設けられ,うち川俣には川船関所があった。なお明治10年の農産物は米9万7,345円・麦8万7,546円・大豆3万9,506円・実綿2万5,196円・繭1万7,324円・生糸3,802円・菜種1万345円(全国農産表)。明治9年第23大区に89か町村が所属しており,同10年の戸数1万2,801・人口5万7,787。明治4年7月館林県・西端県を経て,同年11月栃木県となり,同9年8月群馬県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7281807