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上植木(近代)


 明治22年~昭和45年の大字名。はじめ殖蓮村,昭和15年からは伊勢崎市の大字。明治24年の戸数270,人口は男626・女612,学校1・水車場2。昭和15年の世帯数366・人口2,234。産業は農業が主で,水利には常に意を用いて来た。大正6,7年には2つの沼の底浚いをそれぞれ1,067人・1,817人の延べ人数で実施し,同10年には一ノ堰の補修に針金蛇籠をつくっている。大正11・13・15年は未曽有の旱魃であった。「万歳記録帳」(上植木水利組合文書)によると大正13年の田植えは7月に入って始められ,8月12日に切り上げるまで39日間にわたって行ったが,79町余のうち約15町が植付けができなかった。この年の収穫は反当たり2~16斗で,農家は大変困難を来したと記している。恒常的な水不足に悩む粕川東岸の町村では,大正12年に八坂用水の延長を計画し,佐波・新田用水耕地整理組合を結成し,大正14年用水を当地区内で粕川下をサイフォンで通過したが,この用水の北側は水位が高いため恩恵に浴せなかった。昭和50年代に完成する大正用水関連の耕地整理が完成して初めて安定した水が得られるようになった。明治41年10社を合祀して上樹神社を創設。大正9年電気供用開始。大正12年上植木信用購買販売利用組合設立,昭和26年地内本関町に海外引揚者住宅30戸完成。同39年殖蓮土地改良事業完成。昭和15年までの行政区呼称は江戸期とほとんど変わらなかったが,伊勢崎市となり,堀ノ内が上植木本町,間ノ原が曙町,堤原が堤町,関が本関町,上西根が植木町,中屋敷・下西根が中下町となった。昭和45年鹿島町・三和町・本関町・上植木本町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7282206