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御園村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。荏原【えばら】郡六郷領のうち。幕府領。村高は186石余(田園簿)。元禄検地の頃は江戸音羽(文京区)護国寺領・芝(港区)増上寺御霊屋料。さらに元禄7年7月に江戸浅草(台東区)大護院に残りの部分が与えられ,3か寺の入会(新編武蔵)。宝暦2年の村高は170石余,うち田12町余・畑6町余(新用水堀定之事)。幕末は護国寺領151石余,増上寺領101石余,石清水八幡社領61石余と分散(旧高旧領)。化政期の家数20軒。用水は六郷用水。村の北から東にかけて呑川【のみがわ】が流れていた。村の鎮守は石居【しやごじ】神社,中世の領主月村宗観の子孫甚五左衛門宅のうしろの月輪霊神社には宗観の墓があったという(新編武蔵)。助郷は東海道品川宿(品川区)に出役。明治5年東京府,同11年荏原郡に所属。明治5年の戸数34・人口165(府志料)。同22年荏原郡蒲田【かまた】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7301443