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川崎市(近代)


 大正13年~現在の自治体名。川崎町・大師町・御幸【みゆき】村が合併し,市制施行して成立。各合併町村の15町33大字を編成。成立当時の戸数9,685・人口5万188,総面積22.23km[sup]2[/sup]。昭和2年,橘樹郡田島町,同8年同郡中原町,同12年同郡高津町・橘村および日吉村の一部,同13年同郡稲田町・向丘【むかいおか】村・宮前【みやざき】村・生田村,同14年都筑【つづき】郡柿生村・岡上村を編入。同15年,一部を鶴見町に編入。昭和8・22年に横浜市との境界変更が行われる。明治後期,川崎町長の石井泰助を中心に行われた工場誘致,大正初期に浅野総一郎・安田善次郎らによって進められた埋立事業により,工場建設が進行。工場誘致以前から操業を始めていた横浜製糖(のちの明治製糖)・東京電気(現東芝)・日米蓄音機製造(現日本コロムビア)などのほか,日本鋼管・富士瓦斯紡績(現富士紡)・鈴木商店(現味の素)・浅野セメントなどが次々に操業開始。昭和初期からは軍需に関係して金属・機械器具や化学工業の工場が新設され,昭和10年代には三菱化工機川崎製作所・東京自動車工業川崎製造所(現いすゞ自動車)などが操業開始。交通は,明治5年の川崎停車場(国鉄川崎駅)の開業以後,同32年大師電気鉄道(京浜急行)の六郷橋~川崎大師間,大正15年東京横浜電鉄(東急東横線),昭和2年南武鉄道(国鉄南武線)の川崎~登戸間が開通,同年玉川電気鉄道が溝の口駅まで延長された。その後,私鉄沿線では宅地開発も進み,急激な人口増加にもつながった。昭和10年代には南武鉄道沿線に工場が進出,富士通信機製造(現富士通)の工場などが新設された。第2次大戦中には工場群は空襲の目標となり,多大な被害を受ける。戦後は工業都市としての発展を図る復興計画により,市営埠頭の建設や上・下水道の整備などが行われ,昭和30~40年代にかけては埋立事業も進み,千鳥町・末広町・浮島町などが完成,石油化学コンビナートが形成された。多摩川河口流域および臨海地帯は京浜工業地帯の中心であると同時に,また公害問題をかかえており,昭和41年市庁舎時計塔上にスモッグ監視用テレビカメラが置かれたほか,同47年には公害監視センターなども設置された。昭和27年,北西部に向ケ丘遊園,同39年読売ランドが開園。また国鉄川崎駅・京浜川崎駅の北東に昭和24年川崎競輪場,同25年川崎競馬場を開設。同26年には富士公園内の野球場が整備されて,川崎スタジアムとなった。昭和35年の世界農林業センサスによれば,総土地面積1万2,609町,林野8%・耕地38%(うち水田27%),農家4,479戸・林家1,571戸。同年の漁業センサスによれば海面漁業経営体数は235。世帯数・人口は昭和10年3万656・15万4,748,同25年6万9,195・31万9,226,同35年15万9,051・63万2,975,同45年28万9,959・97万3,486。同47年政令指定都市となり,川崎・幸・中原・高津・多摩の5区が設置された。同57年には多摩区が麻生【あさお】区,高津区が宮前区を分区して7区となる。昭和49・50年に中原区・多摩区・幸区が横浜市と境界変更。同56年の世帯数38万775・人口104万5,244,総面積142.21km[sup]2[/sup]。住居表示実施などにより,現在382町82大字を編成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303097