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新田宿(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ座間村,昭和12年座間町,同16年相模原町,同23年座間町,同46年からは座間市の大字。明治24年の戸数84,男254人・女270人。湘川小学校は同28年座間に新設された座間小学校に統合され,分教場として残ったが,昭和6年に廃止。電灯が引かれたのは大正5年。相模川は昭和6年以後の機械力による砂利採取で,河床が低下し,長年の水害はやんだ。昭和7年相模川左岸幹線用水路の取水口が旧取水口の辺りに完成,灌漑の労も減った。相模川河床よりの砂利採取は昭和39年禁止,現在は堤内の水田下より採取している。耕地整理は昭和30年に完了。同30年頃まで凧揚げが盛んで,青年たちは毎年8~10m四方の大凧を作り,4月から端午の節句にかけて揚げていた。一部が,同34年相模台,同50年座間1~2丁目となる。世帯数・人口は,大正14年101・754,昭和55年286・1,138。昭和50年以後人口が急増。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303841