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長井村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。相模国三浦郡のうち。寛永10年・元禄10年・幕末ともに幕府領。村高は,「元禄郷帳」951石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに970石余。当村は南・西・北の三方を海に囲まれ,「豆相海浜浦々図」によれば,湊の広さは湊口14町・奥行13町・深さ3丈5尺程の入海で難風の時などに諸廻船が入津,所有船数は猟船55,押送船20の計75,船役永37貫500文(1艘につき500文),大網運上金9両銀1匁7分5厘,磯蚫運上金25両永270文を上納しておりほかに蚫を上納(県立図書館所蔵/三浦古文化3)。「新編相模」によれば,江戸から18里,東西25町・南北12町余,家数545,蚫を多く産し,かつ美味だという。鎮守は熊野社,寺院には浄土真宗長徳寺・弘誓寺・勧明寺・善慶寺,浄土宗長井寺・不断寺・長慶院・慶応寺,本山派修験満福寺などがある。鎮守の熊野社は伝えによるとある年の7月15日荒井の岬に漂着した御神体をのちに伊勢の熊野三郎なる人が勧進して社を建てたという。新宿には古くから飴屋踊が伝わる。また狩(仮)屋ケ崎の地名は,大和長谷寺の徳道上人が海に流した十一面観音像が天平8年当地に流れつき,土地の人々が仮屋をつくって祀ったことに由来すると伝える。また源頼朝遊興の仮屋ともいう。荒崎の城山は三浦一族の居城跡と伝えられるが,当地には嘉永の頃近江彦根藩の台場がつくられた。「武相甲州回歴日誌」によると大部分が漁家で,このあたりで産する海藻は肥養としたと記す(庶民史料12)。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。「皇国地誌」によれば,税地は259町6反余うち田53町4反余・畑156町4反余・宅地18町6反余・山林30町9反余,ほかに飛地9反余が林村のうちにある。当地方でいう「ノッポウ」なるものが多く,地味はやせており,煙草・蕃薯に適し米・桑・茶に不適,明治9年調べによる戸数666・人口3,769,馬62,船数525うち60石積以下の荷船2・漁舟438・藻舟85。第14大区区務所,その中に郵便取扱所があり,ほかに教員数4・生徒数112の公立長井小学校がある(残稿)。明治22年市制町村制施行により,飛地は武山村の一部となり,単独で自治体を形成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7304336