和沢村(中世)

戦国期から見える村名。礪波【となみ】郡のうち。初見は「蔭涼軒日録」で,長享2年8月27日,伊勢鶴寿丸跡の「越中国和沢村」等4か所が,将軍足利義煕から京都の常在光寺に寄進され,同年9月26日,結城越後守が,その代官職を望んでいる(続史料大成14/県史中)。だが,2年後の延徳2年閏8月12日,「伺事記録」(同前)によると,伊勢上野介貞弘が,上記4か所中の「越中国和沢村」を含む3か所その他の還補を請うている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7322717 |